嶋田佑紀公式Blog【おむすびとわたしと。】

わたしがひかりの種として伝えている「心がほどけるおむすび」から派生した話と、その活動に共感してくれた人たちで伝える「おいしい」の尊い力を綴っています。

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やっぱり毎日の積み重ねなんですねぇ。脳みそも性格も。

ご訪問ありがとうございます。

5歳と7歳の男の子の母もしています、嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

急に子どもの紹介をしたのは
今日は子ども達のことを書こうと思ったから。笑

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長男、次男、共に
2歳から英語に通っています。イギリス人が先生のお教室です。

 

そんな早くから?と思われることもあるのですが
わたしは母国語以外を学ぶには「耳から」と思っていたので
低年齢から習わせてくれるところを探して、対象年齢になってすぐ、通うようになりました。

 

というのも
わたしの母は英語の先生でして(汗)

わたしが小学校5年生の時から英語教室の先生の先生とかできるレベルの英語力のあるお方。

我が家には当たり前にphonicsが流れ、当時は「聞かされて」いたんですよね。
母の勉強という名の下に。

「じゃぁ、嶋田さん、英語できるでしょ」って思われるかもしれませんがとにかく文法が苦手なのでビジネスはダメですww

ただ、おかげさまで耳はいい方だと思うし、外国人と接するのは全然OK。
文法がだめなのと、勉強を続けていないのでボキャブラリーも増えないし(むしろ減る一方)片言英語のジェスチャーのみのコミュニケーションになっちゃうんですよね。

 

しかも夫が英語ペラペラ。

彼を見ていると
英語ができる、話せるというだけで
できることがグンっと増える。

ということは、自分の力を発揮する、やりたいことをやる、という意味でも
可能性がグッと増すということです。

もうね、そばで指を加えて見ているわけですよ、わたしww

 

そんなわけで
子ども達には英語が好きとか嫌いとかやりたいとかやりたくないとかの判断ができる前から通わせました。

親のエゴ=理不尽、ですけども。
でもこの理不尽がわからないうちから通わせました。笑

 

 

 

前起きが長くなりましたが
どうしてそんなことを書いたかというと
昨日、長男5年、次男5年(お腹の中から聞いているから!笑)通っている英語教室で先生との面談があったんです。

 

面談、っていうとちょっと硬いけど
レッスン中の様子を聞いたり
次年度の方針とか、子どものレベルアップにむけて、親がどんなことできるかなんていうアドバイスもらう、っていう談笑です、談笑。

 

でね、わたし、息子達が全然家で英語の勉強しているのを見ていないから
特に長男はもう小学校に入ったし
どうしたら習慣化できるか、レベルアップできるか教えてもらおうと思ったのですよ。

 

そうしたら!!!

 

意欲的にレッスンに参加しているし
しっかり積み上げてきているんだなーっていうのを感じますよ!
家でどんなことしているのか、聞いてみようと思ってたんです。

 

 

なんて言われてしまって。

 

 

 

えーーーーーーーーーっ!!!!

 

 

びっくりですよ。

 

わたしが見ている限り
長男はレッスンのある火曜日に、レッスンから帰ってきて宿題やるのみ。

次男なんて、mission(というやってもやらなくてもいい宿題)をやっているの、見たことないww←しかもわたしも何も言わない

 

次男はね、まだ年中児なので、通っていることでOKにしているんですが・・・・

 

長男ですよ。

え?先生、本気で言ってるの?って感じでした。

 

 

それでわたしなりの考察ですけど
彼の集中力の賜物かな、と。

 

親としてやっていることは
毎日の食事をいわゆるちゃんとしたもの食べさせているだけだし。

>>わたしの「ちゃんと」についてはこちらをご参照ください

 

あとはいわゆる【クウネルアソブ】に対して、メリハリもってやるようにさせています。
これは親のわたしもだけどね。

 

それだけなんだけどな・・・・

先生ご存知のとおり、わたししゃべれないですから笑
家で何かなんて、できないんですよーー

 

って話をしたら

それだけで、授業にあれだけついてきてるってすごいです。

って話になりました。

 

 

 

長男、すごっ。

 

次男も、穏やかに参加し、自信を持って発表しています、って。
えーーーー?!家じゃ、なんもせんやん!みたいな笑

やるときゃ、やるんやねぇ。。。

 

 

子ども達を見直したのと同時に

やっぱり親がやることって
暮らしを整える、ちゃんとしたごはん食べさせる

ってことなんだなぁ・・・としみじみ思いました。

 

 

わたしが食に携わった仕事してるからできる、ってことじゃないと思いますよー。

だってわたしが教えているのおむすびじゃん!笑

 

 

子育てをどうとらえているかだとも思います。

何を学ばせるか、よりも
どんな生活をするか、暮らしをするか、の方が、ずっと大事なんだよね。

 

 

 

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【お客様の声】「ちゃんと」したごはんを食べよう

ご訪問ありがとうございます。

嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

寒さもいよいよ本番になってきたなぁという12月の開催。

都心からいらしたお客様が「さむい」と!笑

そうなんです、所沢って寒いんですよ・・・ごめんなさいww

 

3名の方が参加してくださいまして(自宅レッスンは3名が定員です)
3名同士はもちろんはじめまして、だったので
今回は自己紹介をしてから←いつも忘れるww
スタートしました!

 

心がほどけるおむすびの紹介ページを作成してくれたとみちゃんこと佐藤智美さん

 

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OさんとMさん。

 

顔出しできない方達でしたので
はじめての心がほどけるおむすびをご紹介。

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Oさん作


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 Mさん作

 

 

  一番最初にむすぶ所を見た時は何が起こっているのかと思いました!笑

 

おむすびって、改めて習ったことってなくないですか?←日本語ヘン

しかも人がむすんでいるところなんて見たことないし。

あるとしたら、親?おばあちゃん?くらいですよね。

 

で、それを「おにぎりのつくりかた」だと思って、大人になりますよね。 

 

ちょっと雑な言い方になっちゃうけど「独りよがり」のつくり方になっているわけで(笑)

「こういうもの」という概念が定着しているともいえるんですよね。

 

でね、「こういうもの」という扱い方も定着しちゃってたり、していませんか?

パーティの持ち寄りの時「おにぎり」持参なんて、あまり聞かないでしょ?

だって「おにぎりなんて」みたいな?

 

仕事が忙しいからごはんつくるの大変、食事が粗末になっちゃう
という話はよく聞きます。

それって「ちゃんとつくらなくちゃ」「だから料理大変」っていう気持ちがあるからなんじゃないかな、とも思うんですよね。

 

「ちゃんと」ってどんなことなんでしょうね。

「ちゃんと」は大変ですか?本当に?  

 

おにぎり、じゃなくて「おむすび」だったら
十分「ちゃんと」になるんじゃないかな、と思います。

>>「おにぎり」と「おむすび」の違い

 

今回参加して頂いて、やってみて
「おむすび」ってことを実感してもらえたとも思います。

 

 

今回とみちゃんこと、佐藤智美さんが
「小さい頃母がつくってくれたおむすびとソックリだった」って言ってくれて。

お母さん、食べるってことを大事にしてくれてたんだな、って思い出せたと思うんです。

それって、愛されていたってことだもんね。

 

そういうのも「ちゃんとしたごはん」ですよね。

 

 

このおむすびをむすぶと

形にこだわる必要ないんだな

「おいしい」が大事なんだな

「おいしい」ってすごくシンプルなんだな

ということを感じてもらうことができると思います。

 

「ちゃんと」って難しくないんだな、ってことも。

 

 

それとね、今回お味噌汁が飛ぶように売れました。笑

これは味噌と出汁が「ちゃんと」だったからかな、と思うんですよね。

御菜もご好評で(レシピはLINE@で配信します)
すごくシンプルな味付なのに喜んでもらえたのは調味料が「ちゃんと」だったから。

>>「ちゃんと」のご参考に

 

 

料理はこうしなくちゃ

ごはんはこうしなくちゃ

子育てはこうしなくちゃ

に縛られて、そもそもなんで食べるって必要なんだっけ?大事なんだっけ?が忘れられがちなんじゃないのかな。

そこを飛び越えて「ちゃんと」はできないよね。

 

ちゃんとって難しくないし
おむすびだって十分「ちゃんと」なごはんです^^

 

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「おにぎり」と「おむすび」の違い

ご訪問ありがとうございます。

嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

このニュースをご存知でしょうか?

日本ミシュランタイヤは27日、東京のレストラン格付け本「ミシュランガイド東京2019」の掲載店を発表した。最高評価の「三つ星」は昨年から1店増え、13店。星は付いていないが、5000円以下で良質な食事ができる店「ビブグルマン」254店の中に、おにぎりの店が初めて掲載された。


 

個人的には「おにぎり」なんていうr大変地味な分野が確立されたこと、認められたことが本当に嬉しい・・・をぐいっっと超えて、ものすごく誇らしいです!!

それに日本という国は、やっぱり独特の食文化をもつ国なんだなぁ、としみじみ感じました。

 

 

わたしが「心がほどけるおむすび」をスタートさせたのは2016年です。

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↑当初のおむすび↑

 

みなさんもきっと「??」となっているであろう

「おにぎり」と「おむすび」、どう違うの?

という疑問は、もちろんわたしも持ちました。

 

それで、折をみては調べたりしてきました。

 

今日はそれについて書きたいと思います。

 

 

いつからあるものなの?

歴史を遡れば古事記より以前から存在する、という説もあったり
弥生時代のものと思われるおにぎりの化石が石川県で発掘されたり

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谷農園様より引用)

大変古くから存在しています。


当時は今のおにぎりのようなものではなく、もち米を蒸したちまきのようなものだったよう。

 

現在のように海苔が巻かれるスタイルになったのは、白米が流通しだした江戸時代の中期、

1970年代にはコンビニが日本にできて、フィルムに巻かれることでパリッとした海苔でも食せるスタイルが根付きました。←わたしもパリッと派だった!


日本という国がなぜ米文化になったのか、も知っておくといいかもしれないです^^

ニニギノミコト天照大御神の孫にあたる神様です。

天孫降臨の際、「稲穂を育て、民を養い、国を繁栄させるように」と稲霊(いなだま)を賜ったといわれています。

 

ちなみに神棚に祀るのは「米」「塩」「水」「酒」。
こういった神話による伝承も含め
日本の食文化の歴史が感じられます。

 

 

おむすびとおにぎりは違うものなの?


「お米を炊いて形にして海苔を巻いた」というビジュアルは同じゆえに「どっちでもいい」という言い方もできますが
わたしは、意図を持って使いわけたいな、と思っています。

 

「にぎり( nigiri )」=握り飯

両手で包むように握ったようなイメージではなく、おひつに入っている残り飯を、片手でぎゅっと握って、畑仕事へ出かける。

くらいの扱いのものだったと想像できます。
「庶民の言葉」という説もあります。

英語で表現するなら【rice ball】←嶋田主観

 

「むすび( musubi )」=むすひ(産霊)飯

古事記には「産霊(むすひ)とは、凡て物を生成すことの霊異なる神霊 (みたま) を申すなり」と記されているとされています。天地万物を産みなす霊妙な力をそなえた神を産霊神(ムスビノカミ)といいます。

神様の力をあやかろうとつくられたものが「おむすび」とも言われていますし
平安時代貴族の女性達が「むすび」と呼んでいたともいわれています。

むすびの「び」は御霊(みたま=たましい)の意味があり、霊力を取り込む、とか
たましいを込めてつくるもの、といった説があります。

 英語で表現するなら【Japanese soul food】←嶋田主観

 

 

こうやって比べてみると
「おにぎり」と「おむすび」って全くエネルギーの違うものにみえてきませんか。

それぞれの背景を知っていると
たとえビジュアルは同じでも
口にした時には違うエネルギーを取り込んでいる気がします。 

 

ちなみにわたしが「心がほどけるおむすび」という名前にこだわるのは
空腹を満たす食べ物、という概念を超えて
つくる(むすぶ)という行為にも大いに意味があると感じているからです。
 

なので、
日常的に「おにぎり」「おむすび」を使い分けています。

 

 

おまけ

アンパンマンに出てくるのは「おむすびまん」「こむすびまん」でおにぎりまんではないんですよね。

やなせたかし先生はきっと何かを思って「おむすび」にしているんだろうと思うんですが、真相やいかに。

 

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 (Amazonより引用)

 

 

  

 

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成る、から、在る、へ。

ご訪問ありがとうございます。

嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

先週の土曜日(今日は月曜日)にもう7年以上もお付き合いが続いている宮北結憘さんのお仲間の忘年会に
お料理担当でお伺いしました。

 

大人が10名ほど、子どもが我が家の子ども達も合わせて3人いてね。

大人同士が語らっている姿、大人と子どもが会話している様子、子ども同士が言葉をかわしながら遊んでいる姿をみながら

帰りの車の中でこんな投稿を書きました。

 

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これからの時代は
何かになる時代ではなくて
『自分で在ること』の時代になる

 ==============

 

強く感じました。

何かになるための勉強ではなくて
自分で在るための学び。
自分が本当に在りたい姿への勉強。

誰かのためより
自分を満たすこと。喜ばせること。
それが誰かのためになる。

 

そんな時代になる。

 

 

 

わたしは1976年うまれです。

高度成長期に子どもだった親に育てられた世代。

バブルがはじけたのは、わたしが大学生の時。就職氷河期という言葉がうまれた時の世代です。

 

だから例えば

安定した生活を得るために

公務員になること、国家資格をとることをすすめられた時代でした。

 

それから20年経った現在
SNSやモバイルの発展を筆頭に、時代は大きく変わったように思います。
わたしが子どもの頃には想像もできなかった環境に身をおいている気がしています。

 

みなさんは、今をどんな時代と感じていらっしゃるだろう。

 

 

わたしね。

望めば何にでもなれる時代

になっている気がしてならなくて。

 

ネガティブな言い方、乱暴な言い方をしてしまえば
なんでもありの時代ではないかな、と。

セオリーや一般論、場合によってはモラルすら「ない」ような時代になっている気がします。

そんな、何かがあってないような中で
自分が何を大切にしたいのか、どんな生き方をしたいのかを選ぼうとするには選択肢や正解?答え?意見?が多すぎる。

 

反面、ポジティブな見方をすれば
セオリーや一般論にとらわれず、何にでもトライできる、しかも低リスクで行動も発信もできる時代になっていると思います。

それはもちろん、自分の夢を叶えるためにとても有効的なことだと思う。

引き寄せや宇宙の法則といったものも認知されだし
人知の範囲を超えて夢を実現できる方法を実践できるようにもなった。

 

そういう意味でも
「なんでもあり」になったな、と感じていました。

 

 

 

で、土曜日に思ったんだよね。

 

何かから選択しようとするから、違和感があるんだ!

 

やりたいことはなんでもやれる時代に、そもそも何かを選択しようとすることってナンセンスな気がして。

やりたいことがなんでもやれるなら、何にでもなれるなら
何になっても何をやってもいいんだから
やりたいことがわかる自分、手に取れる自分になればいいんだ、って思ったの。

 

しかも「やる」には責任が伴う。
責任が伴うのであれば
「自分が」「本当に」やりたいと思っているのか、は最重要部分。

 

さらに【責任】の意味をはき違えると偽善になりかねない。
この偽善は他者に対してだけでなく、自分自身に対しても。
これじゃぁ、誰も幸せにはならないよね。

 

ということは
本当に自分の望むことを叶えていく=自分を満たす、喜ばせる、安心させる
という【自分を愛してあげること・喜ばせてあげること】が何より優先事項だな、と思ったんです。

そして学びとは【「本当に」自分の望んでいること、叶えたいこと、実現したいことを知っていく】【喜ばせてあげる方法を知っていくこと】ためにすることだな、と。

 

それが腑に落ちたら

子育ての軸もストン!と決まって。

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何かになるための勉強や学びではなくて。

  • 自分はこういう人間なんだ
  • 自分はこういう生き方をしたいんだ
  • こういうことをやって生きていきたいんだ

ということを叶えていけるために
学んだり、友達と切磋琢磨したり、兄弟で競ったり、したらいいんだ。

 

自分がどんな人でいたいか、どんな生き方をしたいか、どう在りたいか、を考えたり、知ったりできる機会を得ること

実現するための行動力

共感しあった同志や、一緒に叶えようという仲間への、自己開示の勇気

 

こういったことを学校や友達や習い事で
学んだり、経験したり、していってくれたらいいな、と思っています。

 

とはいっても、親としてできることって大してないなぁ、というのも改めて感じてしまいました。

口も手も出さず、信じて見守って、機会(とお金 笑)を提供するくらいしかできないよねww

 

 

ただ、母親としてでなく、「わたし」は

【自分を愛せない、自分より他者を優先して苦しんだわたし】と
【まず自分を愛して大切にして愛いっぱいの喜びを知ったわたし】の両方を知っているし

両親からうまれ体験したこと・感じたこと
今この時代にこの年齢で子ども2人を授かっていること
そして『心がほどけるおむすび』『ひかりの種』という
わたしの生き方、在り方、考え方を表現できるものを手にできていることを考えると

この過渡期の時代に命を頂いていることに感謝しながら
同時に精一杯伝えていきたい!と強く思いました。

 

こんな時代になるとは思わなかったけど
自分を生きることを諦めないで生きてきた、過去の自分を本当に褒めてあげたいです。

 

 

我が子がどんな風に育つかも含めて
ワクワクするーーーー!!!

 

 

 

 

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