嶋田佑紀公式Blog【おむすびとわたしと。】

わたしがひかりの種として伝えている「心がほどけるおむすび」から派生した話と、その活動に共感してくれた人たちで伝える「おいしい」の尊い力を綴っています。

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陰極まって陽に転ずる日

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嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

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毎日のごはんがパッ!と輝く《ひかり》の秘密

 

 

2019年22日(日)は冬至でした。

その前日の土曜から湯河原へ、一泊二日の泊まりで学びを深めてまいりました。

 

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映画「エディブルシティ」上映会からはじまり

「地球野菜をまるごと味わう宇宙kitchen」の夕食

温泉&懇談会

翌朝早朝に「サトケンと行く冬至の日の出ツアー」で冬至の日の出を拝み

今野華都子先生の「古事記塾」へ参加し

 

帰ってきました。

 

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印象に残ったこと2つのこと

 

ひとつは映画から得たインスピレーション。

 

「空き地に食べれる畑=エディブル ガーデンを作っていこう」という

1人1人の喜びの行動が都市全体を動かしていくというドキュメンタリー映画でした。

 


【予告編】『都市を耕す エディブル・シティー』

 

 

わたしはこういったドキュメンタリー映画を観る時に

「一番印象に残った言葉」をメモして

それがわたしへのメッセージだ、と受け取るようにしています。

 

今回は「子どもに食の教育を」という言葉が一番印象に残りました。

 

 

 

 

ご縁の杜で上映されるドキュメンタリー映画を何種類か観ていますが

毎回毎回「わたしは次世代へ繋いでいきたいんだ」という想いを思い出させてくれます。

 

さすが

”人生に変化が起こる宿”ご縁の杜です。

 

 

 

 

 

そしてもうひとつは

古事記塾で華都子先生が最後にお話された言葉。

 

「わたしはもう67歳です。命がいつまであるのかわかりません。

現在全国33箇所でこの古事記塾を開催しています。

そして古事記の本質を伝えていくことは命尽きるまでやることを決めています。

ですからみなさん、ぜひどこかで学び続けてくださったら喜びです」

 

こういった覚悟を持って伝えてくださる方の元で学べる喜びが染み渡ったのと同時に

 

あぁ、そうだった。

わたしは子どもキッチンを生涯やっていこう、と決めたんだった。

と思い出させて頂きました。

 

 

 

そんなことを思いながら帰路につき

帰ると

カレーができていました。

 

 

 

 

目の前の不満こそ、本当の望みに氣づかせてくれるために起きていること
  

おぉ~、ありがとね~。

と思いながら

そのカレーを見ると

 

 

じゃがいも

人参

玉ねぎ

のカレーでした。

 

 

 

驚愕ww

 

 

もちろんつくってくれていたことは有難いのだけれど。

 

 

わたしだったら

この糖質まみれのカレーはつくらないのだよ。

(米・カレー粉・じゃがいも・にんじん・たまねぎ・肉。全部糖質)

 

 

カレーはたくさん食べたい。

 

食べたいなら

食べて平気なカレーをつくる、がわたし流。

 

しかも冷蔵庫にあるもの使わず

わざわざ買ってきたんだそうな。

 

 

豆も用意してあったし

ひき肉は用意してなかったけど

塩豚にしていたブロック肉はあったんだ。

 

 

もしこれが

夫や子ども達が食べたいカレーだったとしたら

全然OKなんですよ。


どうやらそうじゃなかったようだったのも引っかかったんですよね。

 

 

目の前の不満は

自分の本当の望みに氣づかせてくれること、だとしたら。

 

 

あーーーーーーー、そっか。

 

「子どもキッチンを生涯やっていく」

「子どもに食の教育を」

 

が、なんとなくツツッとつながりました。

 

 

 


体験が前提をつくる

 

 

自分の知っているものを

知っている方法でつくる。

 

夫はこれを全力でやってくれたんだと思います。

 

ただ、引き出しがなかっただけだろうな、と。

 

 

その引き出しは

そもそもどうやってつくられるのか?

 

 

茶色のものを多く食べて育ってきた人は

食卓が茶色なのが当たり前だと思っている。

 

彩よい食卓で育ってきた人は

野菜がない食卓に違和感を覚える。

 

生野菜のサラダを「野菜」と食べてきたら

野菜を調理することは思いつかないわけです。

 

 

こういったことは

食事に限らず

 

いわゆる「育ってきた環境」が

前提や引き出しをつくりだしてしまうことは

心理学的にも実証されていること。

 

 

例えばカレー。

 

今はわからないけど

わたしたち世代が

家庭科で習ったカレーは糖質だらけのカレーですよね。

 

そしてキャンプとかでやろうとしたら

じゃがいも、肉、にんじん、玉ねぎのカレーになる。

 

 

そう。

こういったカレーしか

習ってないんだよね。

 

 

だから

里芋つかってみようとか

肉の代わりに厚揚げにしてみようとか

そもそも思いつかない。

 

 

それってセンスでしょ

と思うかもしれないけど

 

 

「へ~、こういうのもありなんだ」

という味覚の体験や

 

「じゃ、こういうことをやってみよう」

という調理の実践をしていないからだけだと思う。

 

 

 

やったことないことへのチャレンジをして

失敗してしまうのは怖い。

 

だから知っている範囲で終わらそうとする。

 

特にごはんは

失敗したら「作り直さないといけない」とか

「食べる人に文句言われる」とか

自分で完結できないことも多くて

意外とプレッシャーがかかるし

チャレンジしにくい分野なんだと思うんだよね。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 

家庭科という授業(今は生活?)はあるけれど

 

 

自分の体を”大切にする”

という視点からの栄養や食事について学ぶ機会は皆無だな、と。

 

 

糖質だらけのカレーを食べていたらどうなっちゃう?

 

カレーを食べたい度に

糖質だらけのカレーを食べていたら

自分の体がどうなるか、教えてくれる人、まわりにいますか?

 

お米をたくさん食べちゃうとどうなる?

血糖値があがるから眠くなっちゃうよね。

 

でもお腹空いていてモリモリ食べたい時、どうしたらいい?

 

 

少なくともわたしは

こういったことを

大人になるまで教えてもらえなかったです。

 

 

 

 

そしてそこに大事なのは

「栄養が偏るからダメ」

ではなく

 

「自分を大切にしていない食べ方だからね」

という視点。

 

 

食べたいものを食べるのは大事だけど

自分を大事にしている食べ方も知っておこうよ、という考え方。

 

さらに

命を生きながらえる食ではなく

自分の生命力をあげる、活性化させる食事や食材について

学ぶ機会ってないな、と。

 

 

 

 

食べることを通じて

「おいしい」という喜びを味わえる味覚を広げる場や

 

自分の体もいたわる、という観点を持った調理方法にチャレンジできる場。

 

そして

馬力でがんばるのではなく

自分の中のひかりを信頼していかれるようになる食事の体感。

 

 

 

科学的な根拠を学ぶというよりも

五感で味わって細胞に記憶していく場をつくろう!

 

手を動かしながら

前提や引き出しの幅を広げる場をつくろう!

 

本質的な食の生命エネルギー循環を学べる場をつくろう!

 

 

と思いました。

 

 

子どもの時からそれを知っていて、

子どもの時からそれを自分のためにできたら

もう、大人になったら相当の強みだし

自分も周りも幸せにできる人間になる。

 

 

 

 

冬至とは

陰極まって陽に転ずる日だそうです。

 

 

ちょっと陽に転じたかも!笑

 

 

 

 

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