嶋田佑紀公式Blog【おむすびとわたしと。】

わたしがひかりの種として伝えている「心がほどけるおむすび」から派生した話と、その活動に共感してくれた人たちで伝える「おいしい」の尊い力を綴っています。

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母とわたしと料理

ご訪問ありがとうございます。

嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

鹿児島・指宿で開催した心がほどけるおむすびの会を開催してから
振り返る時間をつくりました。

 

参加者の方が
はじめて「心がほどけるおむすび」をほおばった瞬間、思わずこぼれる言葉。

いろんな言葉を率直に発してくださって
本当にどれも「心がほどけるおむすび」の本質を受け取ってくださっているな、と
いつも胸がいっぱいになります。

 

どんな顔していいかわからなくなることがあるくらいです、じつは。

 

 

今回の指宿で開催して頂いた3回の会の中で
特に一番響いてきた言葉

 

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「早く子どもにむすんであげたい」

 

きゅーんと共鳴しました。

 

 

 

 

それで思い出したのが、わたしの母のこと。

 

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 一緒に美容院行くくらい仲は良いんですよ

 

 

わたしの母は、わたし達(娘2人)の食事を本当に大切にしてくれていたし
丁寧につくってくれていました。
おやつも市販のもを食べた記憶はほとんどありません。

 

きっとある程度の知識を持ちながら、毎日手をかけてくれていたんだろうと思います。

 

ただ。

 

母の料理は子ども達の為、だったのだなーと。頑張ってくれていたのだな、と。

今回、指宿から帰ってきて感じたのでした。

 

 

母がつくってくれるごはんに父はよく「こんなもんおかずになるかよ」とか悪態ついていました。
(わたしの夫がそんなこと言ったら目の前で速攻ゴミ箱に捨ててやる)


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今でこそ孫にも優しいじいじですけどね。 

 

でも母は(多分辛抱して)子ども達のためにごはんをつくってくれていました。

 

そんな母が・・・昨年でしょうか。

 

わたしが訪ねた時、お腹空いてる?と聞かれて
すいていなかったのでいらないと答えると
母は、冷凍庫からスーパーで買っておいた賞味期限切れのお弁当を出し、チンして食べたんです。

 

わたしはものすごくショックでした。

 

さすがにわたしにそれを食べさせることはしなかったと思います。
ひとりだから、ということだったと思うのですが・・・

 

だとしても。
スーパーのお弁当、というだけでなく
賞味期限切れのお弁当を冷凍してまでとっておいて食べたということに愕然としました。

 

あんなにわたし達に食べ物の大切さを教えてくれた母が
なぜ?!

 

少し混乱に近いショックを受けたのを、未だにおぼえています。

 

 

 

そして今回「子どものために」という母親としての気持ちに共鳴したことと合わせて
あの時わたしは何がショックだったのか考えてみたら

母が母をそんな風に扱っていることにショックだったことに気がつきました。

わたし達子どものことを大切にしてくれていても
自分を大切に扱っていない親を目の当たりにすると、子どもはこんなにも傷つくんだ
と感じました。

 

 

母は「子ども達のために料理していた」んですよね。
母親としての責任を全うするために、本当に頑張ってくれていたのだと思います。

 

だけど、わたしはそれを今感じて
とても傷つきました。

 

なんで子どもを大切にしてきたのと同じくらい、自分のことも大切にしていないの?と。

 

 

 

「自分のために料理する」という概念がないともいえます。

時代のせいもあるでしょうし
家事は家族のために辛抱しながらするもの、という概念は未だにあるとも感じます。

 

娘達が嫁いでいなくなったら
父(母の夫だよね)だけのためにごはんをつくる気にはならない、と言って
台所にはあまり立たなくなったそうです。

わかります。。。
あれだけ悪態ついてきた人に、今更愛情込めてつくれたら、神です 笑

 

 

ただね、もし母が子ども達を思うのと同じように
自分も大事にして料理をしてきていたら
今でも料理をするんじゃないかな、と思ったんですよね。

 

たとえパートナーが食べなくても。

 

 

 

自分に手をかける、と
自分が口にするものに手をかける(=料理をする)は
同じこと。

 

自分のために自分がおいしい、食べたいと思うものをつくる、食べる、というのは
結果として
子どもに対して気負わずに手をかけてあげられるようになるんじゃないかと思います。

 

子どものために「栄養が」「見た目が」「バランスが」といって頑張る料理ではなくて。

 

 

 
わたしがグレることなく育ったのは間違いなく母の毎日のご飯のおかげだったと思っています。

あの家の雰囲気で、お惣菜ばっかりだったら
わたしは絶対に家に帰らない子になっていました。 

スポーツもやっていたわたしにとって、毎日温かいごはんを帰ってから食べられたことは、今でも心から感謝しています。

 

でも。だからわたしは、母のおにぎりを食べられなかったんだと思います。

想い、ではないなにかが乗ってしまっていたんじゃないのかな、って。

順番が違うよ、というか。。。

 

お母さんが大好きだからこそ、お母さんのことがわかっちゃう。というのは、きっとどの家の子どもにもあることだろうと思います。

当時は言葉にできなかったけれど、今ならわかる気がします。

 

 

 

子どものためにはやるけど、自分のためにはできない、というのはよく聞きます。
とてもよくわかります。
わたしだって自分だけのため、となると面倒になることもありますもん。

 

だけどそれは、子どもがいる夕飯や夫のいるお昼と同じものをつくろうよ、ってことではないし、そんな必要なんて全くなくて。

 

おむすびと味噌汁だけでも全然いいと思うんです。

要は、自分に手をかけてあげられていますか、ってことだと思います。

 
心から「おいしい」って感じられるごはん、食べていますか、ってことなんだろうと思います。

「心からおいしいごはん」「心が満たされるごはん」。

それを味わうには、やっぱり手をかけた料理なんじゃないかな、って。
手を使った料理なんじゃないかな、と思います。

たまには自分のためにお米を炊いてあげたって、いいんじゃないかな!って
思うのです。

 

みなさんはどう思いますか。

 

 

 

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