嶋田佑紀公式Blog【おむすびとわたしと。】

わたしがひかりの種として伝えている「心がほどけるおむすび」から派生した話と、その活動に共感してくれた人たちで伝える「おいしい」の尊い力を綴っています。

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わたしがごはんで一番大切にしていること。

ご訪問ありがとうございます。
嶋田佑紀(しまだゆうき)です。

 

 noteはじめました。

ひかりの種|note 

  

食べることって楽しい!
これを一番に伝えていこう。

 

わたしが子どもを産んで、離乳食を始める時に決めたことです。

 

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そのためにしているのが

  • わたしが美味しそうに食べること
  • 好き嫌い問わず視野に入れること
  • 食べなさいは言わないこと

 です。

 

 

わたしが美味しそうに食べるためにしていること

わたしが食べたいものつくる、ということです。

栄養価優先、時短優先調理、なんてなった途端

わたしの「食べたい」欲求は下降します。

 

わたしが食べたいものを
わたしが食べたいもので、つくる。

野菜も、調味料も、加工品も。
時間かかっても食べたいは満たす。

 

そんなこと言っても
食べたい、と思うものがない時もあるので
そんな時は子ども達に聞きます。

逆に言えば
食べたいものがない時だけ聞く感じです 笑

 

とはいうものの
「子どものためのごはん」になっていた時期がありました。

子ども達が1歳〜3歳くらいの時かな。

「味覚を育てる大事な時期だから!」ってすごく気負っていたんですよね。

あっという間に拗ね子になりましたよ。←わたしがね。

「わたしはこんなに子どものために頑張って、自分の食べたいもの我慢してるのよ!」
みたいなねww
 

それがどんどんひどくなって
「あなたはいいわよね、外でいつも食べられるんだから!わたしはこんなに子どものために頑張って、自分の食べたいもの我慢してるのよ!どうせわたしは愛されてないのよ!家政婦よ!」
みたいになっていき、夫婦関係もほんとひどくなりましたww

 

過去を振り返るとそんな感じだったのですが
子どものことを考えたら結果的にはよかったかな、とは思っています。

3歳くらいまでは「耐えた」って感じです。笑

 

 

子どもの味覚の発達段階の話をすると
一般的にひとつの節目が3歳前後と言われています。

わたしの感覚としては
この時期は敏感さというのかな、繊細さというのかな、
そういった舌が育つ時期だと思っていたから
絶対薄味がいいと、信じていました。

 

なのでね
「食べたい欲求を満たす」はとても大事だな、と思う反面
「自分(大人)の食べたいものが1歳〜3歳の子どもに食べさせていいものではない」ということも事実だと思うんだよね。 

母親という立場というか
ごはんをつくる大変さというのはこういうところにあるなと思うのですが

パートナーと協力しながら、時には両親の力を借りて
息抜きしながら努められたらいいんじゃないかな、と思います。

薄味(出汁をしっかりとるとか、質のよい調味料を使うとか)は結果的に誰もの体が喜ぶ味のはずだから。
この期間に自分の体をチューニングするつもりでいるのもいいと思います。

実際わたしはそうでした!

ちょっとストイックになりすぎた反省はあるものの
この時期があったからこそ、味覚という観点では細胞レベルの入れ替わりが起きた実感があります!

 

視野に入れるってどういうこと?

実はわたし、カラーセラピーを勉強してから
「色で食べる」というコンセプトに基づいて
カラフルフード、という講座をやっていたことがありました。

 

色ってね
意識して見なくても
視野に入った途端、多かれすくなかれ脳に影響を与えます。

食べ物の色彩も同じで
揚げ物(茶色)ばかりの食卓で育った子は
「野菜が食卓にある」という前提がそもそもなし。

好き嫌いは別として
カレー(茶色)の時にはサラダ(緑)が必ず置かれている、とか
肉(赤)と野菜(緑)は同量くらい置かれている、といった食卓で育つと
食卓に野菜(緑)がないことに違和感を持てるようになるんですね。

食べた、ということよりも
視野に入っているかどうかで
習慣が育っていきます。

 

もうひとつは味覚の幅を広げるというか、深まるというか
その時期が10歳から12歳くらいまでと言われていて。

いろいろな野菜があること、いろいろな調味料があることを知るにはすごくいい時期だと思っています。

知識としてもインプットできる年齢だしね。

なのでわたしは
食べる・食べさせることに注力するより
興味を持ってもらったり、知識を広げられたり、味覚の幅が広がったりすることを目的に
《テーブルには出す》というのを意識しています。

 

実際、嶋田家ではバジルがそう。

わたしが好きだから、大量に買ってきてペーストにして、パスタにします。

最初は匂いも見た目も青々しいから子ども達「うわっ」っとか言ってあからさまにめっちゃ敬遠していましたけどね。

今は食べるようになりました。

 

「どうせ食べないから出さない」という氣持ち、すごくわかるけど、、、
お母さんであるあなたがが食べたいのなら、つくっても買ってもいいから出していいと思います。

ひとりでモリモリ食べたらいいいよ 笑 

あ、同じようにご主人の好きなものもつくってあげたらいいよね。

子どもが食べないからつくらない、は誰もハッピーにならないってことです。

 

 

食べなさいは言わない  

子ども達の嫌い、苦手、というものでも食卓には出すけれど
頑張って食べるとかしなくていい、って言っています。

親の期待に応えよう的なやつ、いらんし。
オエ〜ってされた方がよっぽどショックなのでね。(経験済みww)

 

例えば山菜の天ぷらなんて
子どもが好き好んで食べるようなものではないじゃない?

出せば「え〜〜〜」ってブーイング間違いなし。笑

だけど、栄養面でも、旬を楽しむという意味でも、味覚の幅という感性の点でも、知っておいてほしいな、と思うわけです。

そんな時は
「ちょっとかじってごらん」
「匂いかいでごらん」と言って、促して

かじったり、匂いをかいだりしたら、もうそれで◎!

「食べてみなよ」は言いません。
食べたかったら自分から「食べてみる」って言うから。

 

山菜ってなんか他の野菜と違う・・・
という記憶は残るかもしれません。(それ事実だしね。)

「無理やり食べさせられた」「いやだった」にはならない一歩手前、のはず。

 

「苦い〜」とか言われたら
「これが大人の味よ〜」って言って流します。笑笑

 

 

 

食べさせる、食べるよりわたしが大事にしているのは
「食べられない」と断ることや
「苦手だから残していい?」と言いづらいことでも伝えるということ。

残しちゃだめだから食べる
が、わたしはすごく嫌で。

食べなきゃだめだから食べる、という義務感のごはんほど虚しいものないよね。

 

 

「食べるは楽しい」「美味しいは幸せ」
 

食べることが暴飲暴食では意味がないし
美味しいの感性が偏っていてもそれは本当の美味しいではない、
とわたしは思っています。

 

そのために持った方がいい意識もあるけど
「子どものためのごはん」になる必要は全くないと思いますよ。 

 

まずはつくる人が
自分がおいしと思うものを知ること、研ぎ澄ませていくこと
ここが出発点だと、わたし自身の経験からもすごく感じているし

つくる人が美味しい、楽しいと思わないのに
食べる人が思うわけない!!笑

 

自分が食べたいものを食べられる方法で
子ども達や家族の味覚が育ち
みんなで楽しく食べられる方法は
きっとありますよ^^

 

 

 

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